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あいさつ

院長  東 芳史

医療法人芳純会は太平洋を眼下に望む自然豊かな本州最南端にあり、昭和40年開設以来地域に密着した精神科医療サービスを提供してまいりました。平成15年5月に新病棟の完成に引き続き平成16年12月より串本駅に近い、大島を望む場所に心のケアセンター、サンマリンを開設し患者様のリハビリテーション及び社会参加に向けてその第一歩を踏み出しました。以降もこれら施設を拠点に患者様中心のより良質なケアと社会参加を目指し、患者様と地域社会との「仲をとりもつ巡航船」の役割を担えるよう職員共々一丸になって尽力しており、入院患者様の日常生活動作(ADL)の維持・向上で自立した生活を送るため、さらに、介護負担の軽減や生活の質(QOL)の向上にも繋がり、特に誤嚥性肺炎などの予防にも寄与すると考えて、「スポーツボイス」を作業療法に取り入れております。

また、令和5年10月には和歌山県立医科大学附属病院より、常勤医師を招聘しており、引き続き地域における精神科医療サービスの提供を充実してまいりたいと考えておりますので、地域の皆様のご理解と暖かいご支援を心よりお願い申し上げます。

当院のCSR活動について

医療法人芳純会は、社会貢献活動として、「南紀の財産である詩人:佐藤春夫をもっと広く、知ってもらおう!」という活動主旨に賛同し、『秋刀魚の会』を指示し、支援しています。

 

「秋刀魚の会」について 

2022年11月、東芳史(医療法人芳純会 潮岬病院 理事長・院長)が会長となり、有志と関係者で設立。詩人である佐藤春夫の詩が持つ言葉のリズムを、ビートの効いた音楽との融合で、若い人達にもアピール出来る「時代を超えた作品に「アップグレード」し、熊野の文化風土と、日本文学の魅力を再発見する機会をLiveイベント等を通じて発信しています。

【佐藤春夫について】                                                                           

明治25年(1892年)和歌山県東牟婁郡新宮町(現・新宮市)に生まれました。医師である父・豊太郎が文芸にも造詣が深くまた、当時木材業で栄えた新宮には大石誠之助、西村伊作、沖野岩三郎ら先進的な文化人が活発に活動していました。そうした環境の中で春夫は文学少年として成長していきました。明治43年(1910年)、中学卒業と同時に上京。慶應義塾大学予科文学部に入りますが、のちに中退。雑誌「三田文学」「スバル」などに詩歌を発表、また「西班牙犬の家」を発表して その才能が注目されつつありましたが大正7年(1918年)、 谷崎潤一郎の推挙により文壇に登場。以来 『田園の憂鬱』 『お絹とその兄弟』 『美しき町』などの作品を次々に発表してたちまち新進流行作家となり、 芥川龍之介と並んで時代を担う2大作家と目されるようになりました。その著作は多様多彩で、詩歌(創作・翻訳)、小説、紀行文、戯曲、評伝、自伝、研究、随筆、評論、童話、民話取材のもの、外国児童文学翻訳・翻案などあらゆるジャンルにわたっています。昭和39年5月6日、自宅でラジオ録音中、心筋梗塞のため72歳で死去しました。

 

 

 

 

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